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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の農業水利施設の歴史探訪シリーズ vol.3 『馬堀用水路』
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農業水利施設の歴史探訪シリーズ vol.3 『馬堀用水路』

2016年01月29日

施設概要 【にいがた農業水利施設百選(整理番号63)】 

 新潟県のほぼ中央部に位置する西蒲原地域の農業用水は、一級河川西川と中ノ口川から取水しています。その中で、馬堀用水路(まぼりようすいろ)は西川の馬堀樋管(燕市吉田本町地内)から取水し、旧岩室村を通り西蒲区馬堀周辺のかんがいを担う用水路で、施設そのものは江戸時代初期の寛永年間に造られました。
 現在、馬堀用水路は、受益面積993ha、延長7,400m、関係集落は13集落にも上る大規模な農業用の水路です。307haがほ場整備済みであり、水田等への用水供給はパイプライン化された用水路を通じてかんがいされ、馬堀用水路から離れた田んぼにも水が行きやすくなっています。

一級河川大通川と交差する馬堀用水路

馬堀樋管(馬堀用水の取水口)

インタビュー協力

・田辺光榮 (新潟市文化財指定史跡馬堀用水遺跡・長恩院石塔 管理者)
・本間 仁 (西蒲原土地改良区 西地区事務所 事務長)   

※田辺光榮さんからは、水利組合長時代の経験談や、過去に掲載された新聞記事、発行されている資料などを拝見しながらお話をうかがいました。
 また、田辺光榮さんは、馬堀の首塚伝説に登場する小兵衛の測量を手伝った権兵衛の子孫にあたる方とのことです。

   インタビューの様子

馬掘用水路の歴史

 1600年代頃の馬堀村は用排水の便が悪く、干ばつと水害が多く発生していました。この頃名主(現在の村長)であった田辺小兵衛は、この惨状を改善するため私財を投じて西川から水を引水することを考え、代官所や長岡藩に何度も許可を願い出た末に用水開削を認められました。
 用水を馬堀地域まで通すには他領の区域を通らねばならず、夜間に線香の光で目立たないように測量を続けるなど大変な苦労があった後、1645年ついに、悲願の用水樋管を完成させました。
 しかし、翌年になると国の役人より「誰の許可を得ておこなった事業なのか、しかもこれによって他の地域への水害の危険性が生じた」と取り調べを受ける事となった。その結果、独断事業であると入獄・切腹を申しつけられ30歳の若さで亡くなられたとのことです。
 その後、幾度かの改修工事をおこなっていますが、現在の水路は、県営かんがい排水事業によって改修されたものになります。

馬堀の首塚 ~水不足解消の犠牲に~(長恩院看板より抜粋)

 寛永(1600年代)のころ、馬堀村は水不足で凶作が度々起きていたことから、名主小兵衛は西川から水を引くしかないと考え、代官所や長岡藩に何度も用水計画の許可を願い出て許しを得た。
 下調べの役人は「場所が高いから管を敷設しても水は通るまい。中止すべきだ。」と言い、小兵衛と対立した。水が通れば役人の、通らなければ小兵衛の首をはねることで工事が始まった。
 完工が近づき水が通る見通しがついたため、役人は大工に命じて板のせきをはめさせ水が流れないようにした。このため流水の日、一滴の水も流れず小兵衛の首は切り落とされた。胴から離れた生首は水の中に飛び込んだかと思うと、しばらくして板をくわえて目をかっと見開き、天高く上がっていった。水は滝のようにごう音をたて村まで流れていった。ときに小兵衛三十歳だった。
 こうして長く水不足で苦しめられた馬堀と近隣の村々は、小兵衛の命と引き換えに豊かな秋の実りが続いている。

長恩院に設置されている看板

地域の歴史を後世へ引き継ぐ...

 小兵衛の没後107年目の1752年、馬堀村の村人はその功績を讃え、三根山領主の許しを得て「首塚」と異名される「長恩院石塔」を建立しました。
 現在でも毎年、小兵衛の命日である8月25日には長恩院近隣の久福寺にて首塚祭りが行われ、近隣の集落の人々、農業関係者や水利事業に携わる人たちが訪れ、小兵衛の偉業を讃えています。
 西蒲原地域に多大なる恩恵をもたらしてきた馬堀用水路ですが、幾度も改修が行われており、残念ながら現在では、建設当時のものが残っている箇所はありません。
 現在は、経年による老朽化が目立つところも出てきており、管理者である西蒲原土地改良区としては、地域の宝である用水路を守って行くためにストックマネジメント事業等を活用しながら、今後も重要な幹線水路として適切に維持管理していきたいとのことでした。
長恩院                 長恩院石塔              現在の馬掘水路 

最後に

 現在、馬堀用水と長恩院石塔は新潟市指定文化財史跡「馬堀用水遺跡」に指定されています。これは、先人が命がけで掘った馬堀用水路を西蒲原地域の大切な宝であることを忘れないためにと、今回お話をうかがった田辺さんが発案されたそうです。
 地元に愛される農業水利施設だからこそ、綿々と繋がっていることをあらためて強く感じました。
 我々も農業農村の振興に携わるものとして、この馬堀用水路が今後何世代にも引き継がれていけるように支援していきたいと思います。

馬堀用水遺跡看板(新潟市教育委員会)


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